Banconsan

25ans+20

森瑤子

思ったより誰にも読まれないということがわかったので、安心して書き捨てることにした。

 

先日ふと森瑤子のことが気になって調べたのだが、今や「もりようこ」と入力してもAmazonにもGoogleにも検索候補に「森瑤子」と出てこないくらい、森瑤子は世の中から完全に忘れ去られたらしい。

瑤子の長女のヘザー・ブラッキンは瑤子の娘という七光りが売りかと思ったら、むしろイギリス人の娘、ヨーロッパ人的センスというセグメントでアピールしているようだ。

seikatsu-homelifestyle.blogspot.jp

 

森瑤子の全盛期、私はまだ学生だったから彼女の事は美人でもないのに何かよくメディアち出てくる作家のおばさん、というイメージしかなかったが、今、検索して出てくる森瑤子のイメージははるかにポジティブだ。

いや、むしろ憧れると言ってもいいだろう。

イギリス人の夫。育ちの良さ。何不自由ない生活とそれに対する倦怠。

持て余す時間と熱情と才能を使って書き上げた小説は売れに売れ、あっという間にスターダムに駆け上がる。

しかもそれは彼女が既にアラフォーと呼ばれる歳になってから成し遂げた成功なのだ。

当時の抑圧されたアラフォー、アラフィフが夢中になったのも無理はない。

 

 この記事などは、登場人物がわかりづらくて混乱するのだが(どちらかというと森瑤子周辺の思いでといった様相)、時代を感じて非常に面白い。

 

patra.kyo.com

 

 

 

 

ところでこの女性のことを考えた時、ある女性の姿が重なってしまった。

 

それはスタイリストの大草直子だ。

 

大草直子も外国人の夫を持ち、中高年女性からカリスマ的な人気を得ている。

顔立ちも似てるといえば似てるような。

いかにも外国人にモテそうな、日本人の基準からは美人というのとはちょっと違う、しかし人目をひく、骨格のしっかりした、眼差しの強い女性。

そして二人ともスタイルのある女性。

 

もちろん大草直子より当時の森瑤子の方がはるかに有名人だし、おそらく彼女の方が遥かにステータスが高く嫌味な存在だったろう。

大草直子はかなり庶民寄りの存在だ。セレクトショップの服もユニクロZARAも同じように着る。

だがそれは単に、それが時代を体現する女性に「求められる」姿だから、なのかもしれない。

 

森瑤子が今の時代に生きていたら、果たしてユニクロのTシャツを手に取っただろうか。