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高橋ひとみ

憧れの人をまたひとり見つけてしまった。

高橋ひとみ

昔は全然綺麗だと思わなかった(私はゴツイ女が嫌いなので)が、年をとって、こんだけキープしてるのはスゴい!と心から尊敬してしまった。

 

 

高橋ひとみのスタイルブック Hitomi Bon!

高橋ひとみのスタイルブック Hitomi Bon!

 

 服のセンスもなかなか良い。さほど流行を追っていない、トラッドな感じ。自分に似合うものをよくわかっているという感じ。

貧乏人にはとても買えないようなブランドものに散財してるあたりが、ザ・芸能人という感じで全く参考にならないといえばならないのだが、こういうのを見ると、やっぱり年とったらそれなりに生地と仕立ての良いものを着ないとねって反省させられる。

しかしバーキンこれだけ持ってるってすごいな。

 

高橋ひとみで検索すると、真っ先に出てくるのが、新婚で夜の生活がすごいんです、とテレビでしゃべったとかいう記事なのだが、あけすけぶりがあまり嫌な感じがしないのは晩婚のひいき目だろうか。

ゲンダイの記事でも、まだ夫婦生活はあります!とあっけらかんと語っていた。

www.nikkan-gendai.com

 

女性は更年期になると膣に潤いがなくなるのでセックスが苦痛になる、とはモノの本などでよく目にするが、実際のところ、世の中のご夫婦は何歳くらいまでことを致してらっしゃるのだろうか。

正直、自分のビジュアルを想像するだけで完全に萎える今日この頃、他の晩婚夫婦の話をとっても聞いてみたいと思うのである。

 

 

食べて、祈って、恋をして

ジュリア・ロバーツ主演のこの映画を観たときは、すごくドキっとした。

多分大多数のか男たちは「スピ系のアホ女の話」だと歯牙にもかけないだろうけど、私には、彼女が結婚から逃げ出すシーンが他人事に感じられなかった。

 

久しぶりにイタリア語の勉強をしてみようかと思った時に、この映画のことを思い出した。

離婚して(自分から離婚しておいて、なのだが)ヨレヨレになった主人公はイタリア語の勉強をすることで現実から逃避するのだ。(あとはヨガと瞑想と若い男。そこは美人の特権。)

 

私も大昔、人生で一番苦しい失恋をしたとき、語学をひたすら勉強した。好きだった人が語学が好きだったから、というのもあるのだが、語学の勉強に没頭していれば、他のことを忘れられた。他のことは何もしたくなかった。何を食べても砂を食べているようだったし、世界は灰色だった。ただ、語学の勉強をしていれば時間が過ぎてくれた。気づくと何年勉強しても越えられなかったTOEICの壁があっさりと抜けてたし、何年もマンツーマンレッスンに通っても全く話せなかったのに、旅行して列車のコンパートメントで乗り合わせた乗客とたどたどしく会話したり、電話でチケットの手配が出来る程には英会話も上達していた。

というわけで、失恋の癒す一番の方法は語学の勉強だと、自信をもっておすすめする。

 

話を戻す。

手元にあったこの映画の原作を読んでみようとパラっとめくると、そこには冒頭から、結婚から逃げ出したくてたまらない主人公の独白があった。

「これ以上、結婚生活を続けたくない。この大きな家に住みたくない。赤ん坊なんて欲しくない。」

そう、主人公は「産みたくない女」なのだ。

私がこの映画に共感したもう一つのパートがこれだった。

映画の中では大親友が子供を産んでも、自分は欲しくないということを嫌というほど実感させられる様子が描かれていた。

この映画、男性にも受けなかったが、ひょっとして大多数の女性にも受けなかったのでは?

ただ、イタリアで美味しいイタリア料理を食べて、ハンサムなイタリア人家庭教師といちゃいちゃして、インドでヨガして、タイで占いして、と、一見女子の好物をこれでもかと詰め込んでいるのだが、多分一番根本の部分、「で、なんで離婚したの?」というところで、おそらく大多数の女子の共感が得られなかったはずだ。

 

でも私はわかる。

もうこの年になると共感は少し鈍くなってしまったけど、あの頃の私には痛いほど主人公の気持ちがわかった。

結婚したくない、自由でいたい、子供は欲しくない。

子供が欲しくないという女がわがままだと叩かれるのも仕方ないと思える。

しかしこれだけはっきりと自己主張してくれる女性がいて、またその本がそれなりにベストセラーになり、ジュリア・ロバーツ主演で映画化までされるのだから、世界には私たちのような女が一定数いるのだなと、ちょっと安心したりした。

 

もう一度じっくり、原作を読み返してみることにしよう。

 

草刈民代

草刈民代が好きだ。

彼女はアーティスティックな大人顔なので、加齢が美貌においてさほどマイナスの要素にならない。

さらにピンと背筋の伸びた雰囲気と、女王様のような気位の高さが、トータルで彼女をとても魅力的な存在に仕上げている。

日本人には珍しい、歳をとるほどに美しくなるタイプだと思う。

 

草刈民代と周防監督のおしどり夫婦ぶりは、テレビで観ているこちらも幸せな気持ちになるくらい、素敵だ。

周防監督にとって、民ちゃんは、今でも女神のような存在なんだなぁとキュンキュンする。

 

そんな周防監督と民ちゃんの間には当然子供がいない。どうやら選択的子ナシのようだ。

でも監督は子供が大好きで、草刈民代の姪っ子を娘のように可愛がっていると、以前番組で草刈民代が話していた。

 

自分の兄弟の子供だったら、いくら夫が可愛がっても気にならないだろうな。

自分自身がとても可愛いと思っている存在を同じように愛してくれるのは嬉しいに違いない。

 

しかし夫の兄弟の子供となるとどうだろうか。

私なら、まるで「自分の家族」だけを大切にしているように感じてしまう。

そこに私はいないという、血の疎外を感じる。

そんな意味は一ミリもないとわかっていても。それは彼の意識の問題ではなく、本能の行動だから、余計に私はそれに傷つくだろう。

話がずれてしまった。

 

ところで、こういう女王様気質の人でも、私のように、愛する男の遺伝子を残してあげられなかったことへの罪悪感で悩んだりするのだろうか。

私はとてもそれが知りたい。

悩まないのだとしたら、悩まないでいられる強さもまた、女王様になるための資質なのかもしれないと思う。

支配者とは、下僕たちを踏みつけにして気高く立つものだから。

子持ち女の鈍感さ

その人の立場にならなければわからないことは沢山ある。

だが、世の中には、相手の立場を十分理解してても、それを言わずにはいられない人間がいる。

それが子持ち女。

 

彼女達は、子供がいないの私たちに向かって平気で言う。

 

子供は宝

この子の存在が私の生きる意味

子供がこの世の全て

この世に子供より大切なものはない

子育てが私を成長させてくれる

子育てより立派な仕事などない

子供を産み育てるのは人として当たり前のこと

子供がいない人はかわいそう

 

 

そうですね、と、私は相槌を打つ。

子供は何ものにも代えがたい宝ですね。きっと私も自分の子供がいたら、そう思うでしょうね。

 

私の母もいつもそう言います、だからその宝物である私が、同じように子供という宝物を持てなかったことをいつも哀れみ悲しむんです。

子育てをしてないから、人間ができてなくてすみませんね。

人として当たり前のこともできなくて、もっと申し訳なさそうに生きた方がいいですか?

 

相槌以外は、言葉には出さない。

ただ笑顔で頷くだけだ。

 

でも、時々、叫び出しそうになる。

わかってる、わかってる、そんなことはわかってる!!!

 

なぜ、面と向かってそんなことが言えるのだろう?

綺麗な人が、美人じゃなきゃ生きる意味がないですね、なんて言うだろうか? 

お金持ちが、貧乏人は生きる歓びをしらないね、なんて言うだろうか?

心の中ではそう思っていても、ほとんどの人はそれを口には出さない。

なのに子供の事だけは、口にしても良いと思っている。

 

何故なら、それが、自然で、当たり前のことだ(と思っている)から。

そして、子供の存在は美しく、賞賛されるべきもので、だからそれを産みだした自分たちが、それについて自画自賛するのは当然の権利だと思っているから。

 

その鈍感さが、私にはどうしても受け入れられない。

 

別に「子育てと同じくらい立派な仕事もあるよ」とか、「皆、それぞれ役割をもって生まれてきたんだよ」とか、「子供はいてもいなくても幸せだ」とか、そんな慰めの言葉を言って欲しいわけでは決してない。

いや、むしろそんな気遣いは力いっぱい遠慮したい。

ただただ、私は放っておいて欲しいだけなのだ。

 

何故わざわざ子なしの我々に向かって、自分たちがどれほど幸せかと力説する必要があるんだろう。

子育てしてる人って、視線が下がってるから、くだらないマウンティングをしたがる傾向にあるんじゃない?

 

私は意地悪く心の中でそう呟いてみる。

そんな風にしかとらえられない私は、本当に可哀そうな人間なんだろう。 

 

ひとさまの離婚の理由

私の友人に、子供ができなかったことを理由に離婚された人がいる。

彼女の嫁ぎ先が古い考えのおうちだったらしく、執拗ないじめにあい、夫も義母のいいなりになり家を出ていった。

彼女は最後まで抵抗したけど、別居期間から裁判所は離婚を認めた。

 

子供ができない可能性が高いことは初めからわかってて結婚したのに、それでも離婚する夫婦がいる。

そんな話を聞くと、切なくて我が身を切られる思いがする。

 

日経新聞浅丘ルリ子私の履歴書で、石坂浩二の離婚に至る顛末を語った回を読んだ時も、私は会社のデスクで新聞を広げたまま、しばらく動けなかった。

石坂は子供が欲しいからと、浅丘ルリ子に離婚を切り出したらしい。

それも浅丘がもう子供は産めないとわかっている歳になってから。

それ以来、私は石坂浩二が大嫌いになった。

 

だが当然、逆のパターンもある。

これまた知人の話だが、彼女はどうしても子供が欲しかったのだが、夫が首を縦に振らない。

残された時間が少ない彼女は悩んだ末に離婚を選択した。

 

これまた別の知人は、男性だが、やはり子供が欲しいという妻と欲しくない彼の間に溝ができ、大喧嘩の末、離婚した。

 

ところで、この人達に共通していることが一つある。

石坂浩二も、私の後半の知人ふたりも、子供が欲しい、または欲しくないと言って、離婚した人は、結局、その後も子供を授かることはなかったのだ。

 

特に私の知人の最後の男性などは、子供が欲しくないといって離婚したにもかかわらず、再婚したら子供が欲しくてたまらなくなり、何度も体外受精を試みたにもかかわらず、結局、子供を授かることはなかった。

 

これって何なんだろなぁと思うのだ。

ただの偶然かもしれない。

それほど子供ができるということは奇跡なのだとも言えるだろう。

 

だけど、迷信じみたことを考えてしまう私はどうしても思ってしまう。

 

因果応報。

 

人を不幸のどん底に突き落としておいて、自分だけ幸せになろうなんて、そんな利己的な人間には親になる資格はないと、神様が采配するのではないだろうか。

 

とはいえ、では子供が授からない夫婦は皆、親になる資格がないのかといえば、そんなことはない、むしろ人間性を疑うような親は例を挙げるまでも無く掃いて捨てるほどいるし、子供が欲しくて離婚してちゃんと授かる人もいるから、単に私が都合の良いバイアスをかけて例を挙げてるだけなのは重々承知しているけれど、でも、時々、そんなことを思ってしまう。

 

私に子供がいないのは私の因果。

でも彼に子供がいないのは何の因果なんだろうと。

考えても不毛なことなのだけど。

 

 

セクハラ財務次官とクッキーちゃん

週刊誌を読んでいると、セクハラ財務次官には子供がいないということがわかった。

その前に、可愛らしいトイプードルを抱えてお散歩に行く次官の写真を見て「働きすぎで家族からは総スカンくらってて心を許せるのは愛犬だけ?w」とステレオタイプな反応をした私だが、子供がいないとなると、あのワンコ(クッキーちゃん)は非常に重たい存在なのである。

子供がいない夫婦にとってペットは子供代わりだ。

セクハラ財務次官は、はめられたとか、あの音声は加工されてるとか、色々な噂もあるが、私は彼はそういう会話しかできないタイプなんだろうと思っている。

実際、高学歴でとても賢く仕事もできる人で、しかし女と酒席を共にすると、必ずセクハラ発言をしないではいられない、という男は結構いる。

 

 

ともかく、その彼も子なしだった訳だ。

子供の寝かしつけなんて気にせず、仕事に猛進できたことは想像に難くない。

もしかしたら奥様もバリキャリなのかも*1

 

そんな二人の間に、あのような恥ずかしい事件が持ち上がったとき、いったい夫婦の仲はどうなるのだろうか。

セクハラ発言は単なるスキンシップの一環のお愛嬌なのだから、と奥さんは笑って許せるのだろうか。

ここから完全な想像だが、あのタイプは家ではエロいことは一言も発しないはずだ。

おそらく風俗通いしてて、長いこと奥さんとのスキンシップもないかもしれない。

だが次官がお散歩に持ってたピンクのトートバッグを見れば、夫婦仲が良いことは間違いないだろう。

あんなショッキングピンクのバッグを持ってワンコをお散歩する夫婦の仲が悪い訳がない!

そうなると後は、奥様が許せるかどうかの一点にかかっているのだろう。

 

こういうとき、子供がいない夫婦は危うい。

クッキーちゃんがかすがいとなってくれるだろうか。

子なしの後輩として、是非二人には危機を乗り越えて欲しいと思う。

 

www.dailyshincho.jp

*1:専業主婦らしい。父親は高石邦夫元事務次官で、リクルート事件で有罪判決。スキャンダル慣れしてるから、この程度のスキャンダルじゃビクともしないかもね。

ブログを書く理由

一時期、子なしについて語る小さいブームがあった。

政府が少子化対策をうるさく言い始めた時期に重なっていたように思う。

まず酒井順子が、ついで何にでも便乗する香山リカ先生が、最後に何を根拠に上から目線の下重暁子が、で一通り出揃って、メディアが頑張ってお神輿を担いだ割には瞬間風速で終了した感がある。

 

 

 

子の無い人生

子の無い人生

 

 

ノンママという生き方 子のない女はダメですか?
 

 

わたしが子どもをもたない理由(わけ)

わたしが子どもをもたない理由(わけ)

 

 

 

人間、普通は自分のことにしか興味がない。

大半の女性は一生のうちに1人以上の子供を持つのだから、子なしの人生に興味を持つ人が少ないのは当然の話である。

私が上記の人たちの出版物にビビットに反応したのも、自分が子供がいないことを常に意識しているからに他ならない。

子供のいる人があえてそうした本を手にするとしたら結構な酔狂だと思う。

このブログにもほとんどアクセスがないのは、ブログがつまらないからという理由が最も大きいのは言うまでもないが、それと同時に、子なしの人生というブログテーマに興味がある人という母集団が小さすぎるからというのもあるだろう。

 

私がこのブログを書く理由はPVを稼ぎたいからではなく、どこにも吐き出しようのない胸の内を明かす場がここぐらいにしかないからだ。

本当はカンセリングを受けたりするべきなのかもしれない、そうしたいと思うことも度々あるが、なかなかそうもいかなかったりするときに、日記を書いたりブログを書いたりすることは、少なくとも吐き出すという意味では少しは役に立つ。 

 

といっても、まだまだ正直に自分の気持ちを語れていないのが現状で、本や映画の紹介でごまかしている部分があるのが事実だ。

もう少し内面に踏み込んだ記事も書いていきたいと思う。

そうして、もし同じような境遇の少数派が、少しでもここから何かを感じてくれたら、とても嬉しく思うだろう。

そう思って、ブログ村に登録してみた。