Banconsan

25ans+20

松尾スズキの嫁問題

先日、ある雑誌の書評欄で松尾スズキの新刊のことを知った。

昔、ロッキングオン(ジャパンだったかも)で連載してた「この日本人に学びたい」という本が大好きで、何回読んでも涙が出るほど可笑しかった。当時、松尾スズキのこの本と、リリー・フランキーの「女子の生きざま」は私の二大愛読書だった。(知能指数低め)

しかしある日突然、私の松尾スズキ熱はぱたりと冷めて、その後の作品は全く読んでない。もちろん演劇を観たこともない。

のであるが、私の頭の片隅には常に松尾スズキをウォッチしなければという強迫観念があった。

過去の作品によく出てきてた美人妻と離婚したというニュースを聞いたときは、感慨深かったものだ。

 

で、新刊「東京の夫婦」の話である。

 

cakes.mu

 

といっても私はまだこの本を読んでいない。

私が反応したのは、この本の書評にあった「子供を持たない選択」というテーマについてだった。

彼の今の妻と結婚した理由も、その意思を尊重してくれたから、だというのだ。

 

そうなのかぁ・・・でもどうなのかなぁ。

 

20歳年下ということはまだ30代前半だ。結婚した時点ではその彼の選択に同意することにさほど葛藤はなかったかもしれない。

だけど、本当に子供が産めなくなるかもしれないと感じ始める30代後半になったとき、この奥さんの気持ちに変化が現れないと言えるだろうか。他人事ながら少し心配になる。

男はいいのだ。たとえ60になってから「やっぱり俺、子供欲しい!」ってなっても、生殖機能でいえば結構な確率で子供が持てる。

だが女性は違う。女性は結婚できる年になってから、子供が産めなくなるまでに、わずか20年ちょっとしか猶予がない。

だから焦る。真剣に考える。

そしてしばしば、離婚して次の男性を探すという手段をとる。

 

なので、私には自分が死んだ後の妻のことを心配する松尾スズキが結構滑稽に思える。

一番心配しなきゃいけないのは、自分の介護かもしれないのに。

まぁ彼くらい才能のある人なら、おしめを変えたい女は引きも切らずなのでしょうが。

 

マクロンの嫁とオトナの国フランス幻想

最近、フランス女性は何ちゃらみたいな本を立て続けに読んでいる。
このフランス女性は何ちゃら本で、毎回、必ず出てくるエピソードが、フランスでは女性を年齢で判断しない、むしろ、内面が魅力的な女性は歳を重ねるほどに美しくなるし、男性にもモテる、というやつだ。
そしてそれを裏付けるかのように、新しく誕生したフランス大統領の妻は夫より20をはるかに上回る歳上で、しかも彼が高校生の時に出会った彼女は既に子持ちの40代既婚というステータスだったという。
この話に世界中の年配女性が飛びついたのは言うまでもない。


最近観た映画は、フランスのカンヌからパリまでのロードムービーで、当然ながら主人公は十分魅力的な中年女性で、しかし夫には女としては見向きもされなくなっており、いわゆる中年の危機真っ最中なのだが、ひょんなことから共に旅することになるプレイボーイのフランス人の独身男性にもこれでもかというくらいチヤホヤしてもらうという、中高年女性の妄想が爆発した映画だったのだが、妄想度で言えば先日紹介した恋愛適齢期にはちょっと敵わない。何しろ中年女性が中年男性にモテるという設定なのだから、世の中に普通に無くはないという話である。

bonjour-anne.jp



そして先日放たれた文春砲は山浦代議士の不倫ニュースで、こちらもお相手は年下のエリートイケメン弁護士というのだから、世のおばさまがたの妄想が全力疾走するのは想像に難くない。

最初の話に戻ると、フランスでは成熟した女性がモテるというのは本当のことなのだろうか。随分と人間の本能を押し殺した傾向だと思う。確かに日本のように1億の半分が総ロリコンみたいな社会はそれはそれで異常だが、性欲の源は生殖欲求なのだから、生殖能力の高い若い女性がモテるのは別に偏見でも変態でも何でもない。

多分、フランスでも若い女性が性的な対象としてモテるのは日本と変わらないだろう。
ただ、学生時代から死ぬほど哲学とか勉強させられてきている彼らの中でも特にインテリ層は、同時に知的な満足も求めている。その左脳の方に集中すれば、スイも甘いも経験しつくした妙齢の熟女にも一定のニーズがあるということなのだろう。

だとしたら、中身がスカスカな熟年女性がたとえフランスに行ったからって別にモテるわけもないし、むしろその教養のなさが際立って恥ずかしい思いをするというのがリアルだろうが、我が同胞は歳を重ねた分だけは、厚みを増した腹の肉に負けず劣らず内面も充実してると思い込みたいのである。まぁそれがババアのババアたる動かぬ証拠なのである。

実るほど頭を垂れる稲穂かな、を今一度噛み締めておこうと反省して今日は筆を置く。

ダイアン・キートン

ダイアン・キートン

正直、彼女がここまで生き残る女優になるとは全く想像していなかった。

私が彼女を最初に意識したのはもちろん「アニー・ホール」だったわけだが、それ以上に何度も観た作品は、同じ年に公開された「ミスター・グッドバーを探して」だ。

www.imdb.com

 

当時、もちろんVHSで観たわけだが、主題歌のマリーナ・ショウの気だるいジャズの音楽と共に一発で心を鷲掴みにされてしまった。

それ以上に好きだったのがジェーン・フォンダの「コール・ガール」だったので、私は都会で一人で生きる孤独な女とSEXと暴力、というテーマになぜだが惹きつけられていたのだろう。

 

その後のダイアン・キートンウディ・アレン映画にはお馴染みの配役であったが、特に印象には残っていない。いつも個性的なファッションで、ポケットに手を突っ込んで歩くスノッブな都会的な女性というくらいのイメージ。

 

私の中では、ダイアン・キートンは自然体で、知的で、センスが良くて、男性よりもむしろ女性に好かれるタイプという印象なのだが、彼女の恋愛遍歴を見てみると意外とモテているのである。ウディ・アレンウォーレン・ベイティアル・パチーノとくるのだから、相当なやり手だ。ウディ・アレンという監督は単なるロリコンおやじじゃない、本当にいい女(男が好きな女)がわかってる、ということだけはよくわかった。(ミア・ファローなんて21歳の時に50歳のフランク・シナトラと結婚したのだから、相当な小悪魔だ。)

 

彼女はそのキャリアでコンスタントに売れ筋の作品に出続けている。本当に息の長い女優だ。

しかもここにきて再びブレイクしているといっても良いのではないか。

特に「恋愛適齢期」のダイアン・キートンは綺麗といっても良いくらいだった。

人生にはモテ期が2回あるというが、「恋愛適齢期」の頃の彼女は間違いなく第二モテ期だったはずだ。

 (もっとも公開当時は「どんだけオバサンの妄想ストーリーだよ」とむしろ失笑してたくらいなのだが。今、観直してみると、キアヌ・リーブス演じるハンサムな医師は36歳という設定なのだから、仏大統領のマクロンとブリジットの馴初めに比べたら全然大した妄想でもないのである。)

www.imdb.com

 

最近の作品では、「最高の人生のつくり方」が良かった。夫に先立たれた初老の女性(リア)と、妻に先立たれた初老の男性(オーレン)の恋愛物語。監督はあのロブ・ライナー!とくれば、面白くない訳がない。

www.imdb.com

 

オーレンを演じるのはマイケル・ダグラス。ヤリチン役をやらせたら右に出るものがいなかったあのマイケル・ダグラスもすっかりお爺ちゃんになって、身体を壊したこともあってかすっかり痩せてしまって心配になるくらいである。

ダイアン・キートン演じるリアは元舞台女優で、今はラウンジ歌手を目指しているという設定なのだが、彼女の唄う「the shadow of your smile」が本当に素敵で、何度聞いても涙が出る。

 

www.youtube.com

 

この作品の中で彼女はオーレンに「どうして子供をつくらなかったんだ?」と聞かれて、こんな風に答える。

「私も夫も若いころは売れない役者で、目の前の仕事に一生懸命だった。気が付いたら40歳になってた。そのころたまたま妊娠した。良い母親になれるかわからなかったけど・・・流産したから、それ以来子供のことは考えなくなったわ。」

このセリフを聞くと、観客はどうしてもリアをダイアン自身に重ねてしまう。

そして、子供をもたなかった女性は、リアを自分自身に重ねるだろう。

 

ダイアンは一度も結婚したことがないが、50歳を過ぎて2人の養子をとったそうだ。 

「傘をひらいて、空を」

kasasora.hatenablog.com

 

昔から好きなブログ。はてなダイアリー時代から読んでいる。

こんなに沢山の物語を紡ぐことができるなんて、しかも全てのストーリーにリアリティがあるのだ。

どこか高いところから、世界中を見下ろしているかのように。

 

作者の知性を感じる。

今回のストーリーは子供のいない夫婦の、妻の独白。

 

kasasora.hatenablog.com

 

何となくシンクロニシティを感じて、どうしても紹介したかった。

 

専業作家になってもよさそうなのに。その辺の中途半端な作家よりよほど出来がいいのにね。

きっと本業の仕事もとてもできる人なのだろうと想像している。

 

blog.hatenablog.com

生まれても死んでも悲しい

知人に子供が出来たことを知る。今の世の中、さして親しくない人の近況も、Facebookがあれば家族以上の速さと詳細さで耳に届く。

結婚して20年くらいずっと子供がいなかったから、てっきり子供をつくらない主義なのか、不妊なのだろうと思っていた。

自分達と同じ側だと思っていた夫婦に、ある日突然、赤ちゃんができたことを人伝に聞く。そういうことがよくある。

必ず人伝に聞く。本人から聞くことはない。

子供がいない私に、自分達の喜ばしいニュースを伝えることを遠慮しているのに違いない。

何故なら、それは彼らが長い間、聞きたくないニュースだったから。同じように、私も聞きたくないだろうと慮ってくれるのだ。

・・・というのは私の妄想だろうか。

 

みんな遠くにいってしまうのね。

 

この頃は赤ちゃんを可愛いと思う自分と、存在を目にすることもウンザリすると思う自分の間で、心底疲れ切っている。

生物的に子供が産めない歳になったことで、産む性としての本能と、社会的な私の判断とか、インナーチャイルドの気持ちとか、色んな人格がどうにも統合できなくなったのだろう。

それでいつも泣いてばかりいる。

 

子供がいない夫婦の話ばかり探してしまう。

村上春樹とか。

 

 

夜、テレビで痴呆症の母親のドキュメンタリーを観る。シリーズとして放送されているこの母親の姿が、自分の母親に重なり、涙が止まらない。もし私の母がこんな風に痴呆症になったら、私の心は引き裂かれてズタズタになるだろう。想像しただけで、息も絶え絶えになる。

 

長生きしたお年寄りの本を片っ端から手に取る。大抵は夫を亡くしたり独身だったりする女性の話。

いつか自分がそうなる時のために。

そうして少しでも不安を追いやろうとしている。

小倉千加子

最近の小倉千加子は何をしているのだろう。

これといった記事があまり出てこない。しかし自治体などに呼ばれて講師などしている様子は伺える。お元気そうで何よりである。

先日図書館で、彼女の最も新しい単著「醤油と薔薇の日々」を見かけて、久しぶりに彼女のことを思い出して手に取った。相変わらず舌鋒鋭くとても面白かった。

2013年に出版されているので、記事はそれより更に古いものだろう。最近のものが読んでみたい。

 

「出産はああでなくてはできない」 

若くしてママになることに、「女性としてはあれしかない」と心の底から肯定する女性がいて、年齢はいずれも四十代後半である。子どもを持つことのない運命を「受容」した人には後光のようなものがさしているので、ダルビッシュの結婚を慈母のように祝福できる。

 

小倉千加子「醤油と薔薇の日々」 ママ美の競争

 

本当にそう思う。紗栄子は正しかった。

ももうすぐ後光が差してくるだろうか。

 

森瑤子

思ったより誰にも読まれないということがわかったので、安心して書き捨てることにした。

 

先日ふと森瑤子のことが気になって調べたのだが、今や「もりようこ」と入力してもAmazonにもGoogleにも検索候補に「森瑤子」と出てこないくらい、森瑤子は世の中から完全に忘れ去られたらしい。

瑤子の長女のヘザー・ブラッキンは瑤子の娘という七光りが売りかと思ったら、むしろイギリス人の娘、ヨーロッパ人的センスというセグメントでアピールしているようだ。

seikatsu-homelifestyle.blogspot.jp

 

森瑤子の全盛期、私はまだ学生だったから彼女の事は美人でもないのに何かよくメディアち出てくる作家のおばさん、というイメージしかなかったが、今、検索して出てくる森瑤子のイメージははるかにポジティブだ。

いや、むしろ憧れると言ってもいいだろう。

イギリス人の夫。育ちの良さ。何不自由ない生活とそれに対する倦怠。

持て余す時間と熱情と才能を使って書き上げた小説は売れに売れ、あっという間にスターダムに駆け上がる。

しかもそれは彼女が既にアラフォーと呼ばれる歳になってから成し遂げた成功なのだ。

当時の抑圧されたアラフォー、アラフィフが夢中になったのも無理はない。

 

 この記事などは、登場人物がわかりづらくて混乱するのだが(どちらかというと森瑤子周辺の思いでといった様相)、時代を感じて非常に面白い。

 

patra.kyo.com

 

 

 

 

ところでこの女性のことを考えた時、ある女性の姿が重なってしまった。

 

それはスタイリストの大草直子だ。

 

大草直子も外国人の夫を持ち、中高年女性からカリスマ的な人気を得ている。

顔立ちも似てるといえば似てるような。

いかにも外国人にモテそうな、日本人の基準からは美人というのとはちょっと違う、しかし人目をひく、骨格のしっかりした、眼差しの強い女性。

そして二人ともスタイルのある女性。

 

もちろん大草直子より当時の森瑤子の方がはるかに有名人だし、おそらく彼女の方が遥かにステータスが高く嫌味な存在だったろう。

大草直子はかなり庶民寄りの存在だ。セレクトショップの服もユニクロZARAも同じように着る。

だがそれは単に、それが時代を体現する女性に「求められる」姿だから、なのかもしれない。

 

森瑤子が今の時代に生きていたら、果たしてユニクロのTシャツを手に取っただろうか。